いらっしゃいませハート
不況、不況、不況。もう飽きた。
「飽きた」なんて言えるのは、きっとそれが私にとっての他人事だからなんだろう。
つまらないと思いながらもテレビを見続けるのは、正確に言うと、テレビをつけつづけるのはその音と光のない世界がまるで世の中から遮断された空間に感じるから。
「私の生きている意味は」と自問すると、役者として年に1、2回、都内の小劇場に出演すること。
すること・・・だけ。
「だけ」とつけてしまうのはきっと、そのことが自分でも「生きている意味」にしては小さすぎると感じているからだ。
売れない役者、映画女優を目指している。もう20代後半。そんな女、五万といる。だから良いのだ。
私の生命線はここだった。
みんなそうだから。
少なくとも私の周りは。
同じ境遇の人間が集まれば恐いことなどそう多くはない。恐くなければそれで良い。
不況といわれる時代でも、時給が上がらなくても文句ひとつ言わずに4年間勤めているベテランのバイトをクビにするようなこともないだろう。もし、人を減らすにしても私より先にクビにされるべき使えないやつが2人いる。
コンビニエンスストアの夕勤。主婦も学生も入りずらい穴場のシフトに定着し続けている私。
今日、劇団から、初めて脚本を任された。
任されたといっても、今年は2時間の舞台に3本のショートストーリーを上演じようということになり、ルーレットのようにまわってきた役割。
脚本を書くなんて夢にも思ってなかった。
結論を話すと私はこれをきっかけに役者をやめることになる。
人と違う道を生きたいと親元はなれて始めた芝居なのに、いつのまにか、他人と同じでないと世の中が恐いと思う生き物になっていたこと。
何のために表現するかを考えたときに困っている人を他人のようにしか思えなかったこと。
成長したいと思って生きていたはずがいつのまにか下の人間ばかり気にしてプライドを保っていたこと。
脚本を書くことで、私は私のおろかさに気づいた。私に表現する資格なんてない。でも、それに気づいた時期が最悪だった。何かを始めようにも、不況の波の中、入り口がどこにも見えない。これが生きているっていうことなんだ。
レジに立つ、いつもと同じ視界。でも、なにか違って見えている。
「いらっしゃいませ」
初めて言えた「いらっしゃいませ」だった。
・・・
彼女は成長して、また、役者の世界に戻ってくることになる。オーバーサーティー、アラフォーと言われる世代の魅力はそこにある。おろかな若さも魅力的だが、人として悟りを開いた人間のほうが魅力的なのは、あきらかな事実。あとはオーディエンスがそれに気づくかどうかが問題なのかもしれない。
社会を知った人間が考えれば役者も仕事として成り立つ道がきっとある。

